Ortega による二人称(代)名詞の考察について
二人称名詞(例えば「あなた」等)は,聞き手を指すための語である。しかし,そうでありながらこの二人称名詞の使用は非丁寧さを帯びる。それは一体なぜなのだろうか。そこで本稿においてはJoséOrtegayGasset(スペイン,哲学者,1883-1955)による二人称代名詞の考察を端緒にしてこの問題について考えてみたい。 「談話に先立って,言語外世界にあらかじめ存在すると話し手が認める対象を直接指し示し,言語的文脈に取り込むこと」(金水1999:68) 発話の「場」に存在する「実在物」を言語で指し示すこと(そのことによって言語的文脈に取り込む)
deicticな表現として、人称、時制、場所などが代表(Levinson, 1983)
同じ指示語であっても指示者の立場を反映して指示対象が異なるというような性質
二人称名詞の特徴の一つ
境遇性を持つということは、「あなた」「きみ」「おまえ」等の二人称名詞が、あらかじめ指示内容を持たない、ということを意味する 指示内容は、その指示の現場において初めて決まる
まさにこのことが二人称名詞の使用が非丁寧さを帯びる理由の一つである、と考えられる
人を指示するということは、その人を"直示"することによって話し手の言語的文脈に"勝手に"引きずり込む、という行為でもある
本質的に"暴力的な"性質を持つ行為である
聞き手がどんな二人称名詞によって直示されようと、それを受容する間柄がある
もともと敬意を含んでいた表現が、長期に渡って使用を重ねるうちに敬意を失っていくこと
「貴様」のような語構成的には極めて丁寧な要素から構成される語であっても、敬意は逓減していく 人称名詞にのみ見られる現象ではない
しかし日本語の人称名詞の「敬意逓減」は特に著しいと思われる
Ortegaの人称代名詞による指示の非丁寧さ
…もしとつぜんだれかが劇場の中で「私だ!」と叫んだとしたら,…どういうことが起こるであろうか。さしあたっては,すべての人が反射的に部屋の一点に,すなわちその叫び声が発せられた一点に,顔を向けるであろう。…「私です!」というあの叫び声が発せられた場所に顔を向けるときに,われわれがするのは,その実在を取り込み,それを引き受けることにほかならない。…彼が私というのを聞くときに,彼の自叙伝全体がわれわれに向かって発射され,提示され,公開される。もちろんそれと同様に,われわれがだれかにあなたと言うとき,われわれは,その人についていままで形づくってきたところの伝記[生活記録]を,彼に向けて至近距離から発射するわけである。これが好ムト好マザルトニカカワラズ「人間性」の二つの弾丸,すなわち二つの人称代名詞が持つ恐ろしさである。…われわれの個性が隣人の上にあまりに重くのしかかったり,彼を圧迫したり,侵食したりする…。
日本語についての言及
…それゆえ日本語では,それら二つのピストルの弾丸[二つの人称代名詞]――少しばかり,いやときにはたいへんずうずうしい――をついに抹殺するにいたったことは驚くにあたらない。すなわちそれは,好むと好まざるとにかかわらず,私の個性を隣人に注入し,そして隣人についての私の見解をその隣人に注入するところの私とあなたという言葉である。そこではこれら二つの人称代名詞は華麗な儀式的形式にとって代わられた。つまりあなたと言う代わりに「そちら様」というようなことがいわれ,また私と言う代わりに「拙者」などと言われるのである。
日本語の二人称名詞が非丁寧
日本語では構文的に主語の省略が可能
わざわざ「あなた」と言うことの余剰性が、さらに非丁寧にする
主語の"席"が構文的に保証されていない
英語では"you"を省略すると非文になってしまう
主語の"席"が構文的に保証されている
英語の場合には余剰性による非丁寧さの問題は発生しない
ただし、英語においてもHis/Her Majestyという呼称がある
"you"という二人称代名詞の非丁寧さを回避しているものと考えられる
一般に親愛の情と呼ばれるものは"非丁寧さの受容"から生まれるのだろう